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病気になる前は、情報システム部門にいました。
365日稼動の事業所、24時間稼動の事業所、早朝に仕事のピークを迎える事業所・・・
それぞれにそれぞれのシステムがあり、トラブル時はトラブル対応、問合せがあるときは問合せ対応を携帯電話で行っていました。
実際、システム部門とはいえ、プログラムのバグ等などはベンダーにしか分からないので、そういう時は現場とベンダーの間に挟まることになっていました。
当然、真夜中に電話を受けることも有りましたし、ベンダーの担当者に繋がらないことも有りました。
また上司に連絡がつかないことも多く、下手をしたらシステム全体が吹っ飛ぶようなことも決断せざるを得ないこともありました。
・・・そういう中で、休日も深夜も電話がかかってくるのではないかという不安で、眠れない、何をしていても楽しくない、吐き気がする、イライラする・・・という状態になっていきました。
(カウンセラーはこの時点で既に病気ですと言っています)
その後、そのような状態を解消するために新規にシステムを立ち上げることになり、当然のことながら上記に加えて新システムの要件確認という業務が加わることになりました。
ただ、私の場合は既存システムの維持管理作業と言う仕事もあったので、当初は新システムの方はオブザーバーという形での参加でした。
結果から言うとそのオブザーバーという参加の仕方がよくありませんでした。
現場の意見を一番よく知り共に頑張ってきたのは自分だという自負がありました。
でも出来上がったものは、現場の意見とはかけ離れたもの・・・。お客様からも納得できるものではありませんでした。
現場の期待に応えられなかったという思い、よくないと分かっているものを便利ですよと勧めないといけないという思い、自分自身が最初から入っていればもっとまともなものを作れたという思い、それらがあいまって、自己嫌悪感が継続するようになりました。集中力も無くなっていきました。
この頃、真夜中に起きては掛かってもいない携帯をもって誰かに謝りつづけていたらしいです。
それでも会社には出ていました。持久力が必要な仕事はかなり効率が落ちていましたが、まだ瞬発力では他の人達には負けていなかったと思います。
で・・・正月ですね。
トラブルが続きました。家族旅行も、初詣も全てキャンセルして何とか対応しました。
この時に、上司とは連絡が取れず、一緒に仕事をしていた先輩とも連絡が取れませんでした。
7日間も・・・。私自身も人間不信になりましたが、嫁がぶち切れました。
以前から私の体調に対して不信に思っていたそうです。
子供も大きくなりこのまま何もしないでいたら駄目だと思ったそうです。
私自身はまだまだ大丈夫だと思っていましたが、病院に行ったらすぐに休職するように言われました。
で、色々ありながら今に至っています。
いまだに自分自身ではそのまま勤務を続けていても大丈夫だったのではないか?という気持ちが残っています。それでもとりあえずは嫁に感謝です。今の自分があるのは嫁のおかげだと思っています。
振り返ってみれば、よく頑張っていたなと思います・・・。
あそこまで戻ろうとは思わないですが、少しずつ正しい仕事が出来るように頑張っていきたいと思います。
何を言ってるのか解らなくなりましたが、こんな感じです。
365日稼動の事業所、24時間稼動の事業所、早朝に仕事のピークを迎える事業所・・・
それぞれにそれぞれのシステムがあり、トラブル時はトラブル対応、問合せがあるときは問合せ対応を携帯電話で行っていました。
実際、システム部門とはいえ、プログラムのバグ等などはベンダーにしか分からないので、そういう時は現場とベンダーの間に挟まることになっていました。
当然、真夜中に電話を受けることも有りましたし、ベンダーの担当者に繋がらないことも有りました。
また上司に連絡がつかないことも多く、下手をしたらシステム全体が吹っ飛ぶようなことも決断せざるを得ないこともありました。
・・・そういう中で、休日も深夜も電話がかかってくるのではないかという不安で、眠れない、何をしていても楽しくない、吐き気がする、イライラする・・・という状態になっていきました。
(カウンセラーはこの時点で既に病気ですと言っています)
その後、そのような状態を解消するために新規にシステムを立ち上げることになり、当然のことながら上記に加えて新システムの要件確認という業務が加わることになりました。
ただ、私の場合は既存システムの維持管理作業と言う仕事もあったので、当初は新システムの方はオブザーバーという形での参加でした。
結果から言うとそのオブザーバーという参加の仕方がよくありませんでした。
現場の意見を一番よく知り共に頑張ってきたのは自分だという自負がありました。
でも出来上がったものは、現場の意見とはかけ離れたもの・・・。お客様からも納得できるものではありませんでした。
現場の期待に応えられなかったという思い、よくないと分かっているものを便利ですよと勧めないといけないという思い、自分自身が最初から入っていればもっとまともなものを作れたという思い、それらがあいまって、自己嫌悪感が継続するようになりました。集中力も無くなっていきました。
この頃、真夜中に起きては掛かってもいない携帯をもって誰かに謝りつづけていたらしいです。
それでも会社には出ていました。持久力が必要な仕事はかなり効率が落ちていましたが、まだ瞬発力では他の人達には負けていなかったと思います。
で・・・正月ですね。
トラブルが続きました。家族旅行も、初詣も全てキャンセルして何とか対応しました。
この時に、上司とは連絡が取れず、一緒に仕事をしていた先輩とも連絡が取れませんでした。
7日間も・・・。私自身も人間不信になりましたが、嫁がぶち切れました。
以前から私の体調に対して不信に思っていたそうです。
子供も大きくなりこのまま何もしないでいたら駄目だと思ったそうです。
私自身はまだまだ大丈夫だと思っていましたが、病院に行ったらすぐに休職するように言われました。
で、色々ありながら今に至っています。
いまだに自分自身ではそのまま勤務を続けていても大丈夫だったのではないか?という気持ちが残っています。それでもとりあえずは嫁に感謝です。今の自分があるのは嫁のおかげだと思っています。
振り返ってみれば、よく頑張っていたなと思います・・・。
あそこまで戻ろうとは思わないですが、少しずつ正しい仕事が出来るように頑張っていきたいと思います。
何を言ってるのか解らなくなりましたが、こんな感じです。
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